福徳神社 芽吹神社 東京 日本橋




福徳神社と富くじ

 福徳神社(芽吹稲荷)は、たびたび幕府より勧化を許可されています。文政五年八月・天保六年五月・天保一〇年一二月・弘化三年一二月・嘉永四年二月・安政五年に、火事で類焼した社殿の造営を願い出たところ「江戸中勧化を差許されたり、是を以ても幕府の尊信浅からざるを知るべきなり」とあります。この勧化は、少なくとも文政・天保期の場合は、幕府公認の富くじ興行「御免富」でした。

 

 富くじは無尽・頼母子講が変形し発達したものです。私的な富くじ興行は早くから行なわれており、幕府は元禄五年申(一六九二)五月一〇付で「とみつき講」「百人講」を禁じる触れを出しています。以来、たびたび富突禁令が沙だれているところから、江戸期を通じて、三都を始め各地で広く行なわれたことがわかります。

 

 幕府はこのように私的富突を規制する一方で、享保年間には、由緒ある寺社に限り、堂舎修復費捻出のための富くじ興行を公認するようになり、これを「御免富」と称しました。

 富突が盛期を迎えるのは田沼意次が老中となる安永二年(一七七二)以降で、谷中感応寺・目黒不動・湯島天神の「江戸三富」のは早朝から群集が押し寄せたということです。

 

 文政から天保期までが江戸富突の最盛期であり、福徳稲荷の富突興行もここに集中していたと思われます。当時の富突場には江戸三富のほかに、護国寺・椙森稲荷・本所回向院・芝神明・茅場町薬師・白旗稲荷・浅草寺奥山・下谷六阿弥陀などがありました。

 中でも富突きに"福徳"とは縁起がよく、ことに当社福徳稲荷の場合は、この社号「福徳」に加えて、秀忠により江戸城から合祀された弁財天が福財神として庶民の注目を集め、人気を博したと推察されます。

 

 文政末頃の出版と思われる『江戸大富集』では、福徳稲荷興行の富くじは、当たりくじの最高額が三〇〇両であり、これは年四回興行一五口の中では、山王御神社・嵯峨御社・南山科御社・根津御社と同等の最高額となっています。

 文政四年の御免富許可基準評議からすれば、福徳稲荷は確かに「御由緒厚き寺社」として扱われています。ここにも将軍家康・秀忠とも所縁が生きていたと言えるでしょう。

福徳神社 芽吹神社 東京 日本橋

 

 



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福徳神社(芽吹稲荷) 
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町2-4-14
電話 03-3276-3550

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※A6番出口より徒歩1分

授与所 9時~17時(元旦のみ0時~17時) /御朱印受付 10時~15時