
百川と
浮世小路
百川と浮世小路とは

『江戸惣鹿子名所大全』(元禄3年・1690)に、「福徳稲荷 室町うき世小路」あります。
また、『続江戸砂子』(享保20年・1735)には「室町うきよ少路に在り」と記載されています。
うきよ小路(しょうじ、と加賀ことばで読みます)とは、日本橋大通りの室町三丁目から東に入る奥行20間ほどの小路であり、突き当たりは伊勢町堀からの堀留でありました。
江戸中期以降には社務所周辺(現在)に有名な料理屋「百川楼」がありました。


浮世小路を加賀言葉で「うきよしょうじ」とも読むのは、古くは加賀出身者が住んでいたことに由来します。
「百川楼」は明治のはじめ頃まで営業を続けていた江戸屈指の料理屋で、落語「百川」の舞台にもなっています。また、安政元年(1854)、ペリー来日の際には、百川楼の料理人が横浜まで出向き、使節団をもてなす料理を作りました。

